noir's memorandum

病気と生きる世界のはしっこ。乳がん治療中@

子なしも色々な種類があるって話

こないだ、仕事中に同僚の人と話してて、前から感じてた違和感の正体のピントがふと合ったのでメモ。

 

普通の子持ち主婦の人には同じ子どもがいる主婦の人は仲間だけど、

「子なし」の人は全然見えてないというか、「子なし」というひとくくりにしか、見えてないってこと。 

独身に近いとか、自由だとか、綺麗にできていいねとか、若いね、とか、子供がいないというと付け足される言葉にいつも、違う人として見えてるんだなぁって思う。違う人たちとして分けられているという感じで、そう言わないといけないみたいに、大体の方がそう言われる。逆に気を使ってもらってるみたいで、申し訳ないなぁと思ったりもするし、嫌味風に聞こえてしまう時もある。

 

私にも子持ち主婦の人たちの苦労とか気持ちがわからないように、子持ち主婦の人たちには私の感じてることとか気持ちはわからない。

それが良いとか悪いとかじゃなくて、本当にそうなんだなと思う、たとえばそれが友人であっても、根本的には共感できない、共感している風にはいられるけど。

 

先天的にできない、 病気でできない、病気でできなくなった。 

病気じゃないけどできない、不妊治療してるけどできない。 

経済的に育てられないので産まない、子どもを持たない事を選んだ。

多様な理由で子どもがいない女性がいる。

「子どもを産んだ」という事実、体験はひとつで同じだから、共感できるだろうと思う。逆に、子なしの人たちはさまざまで本当に色々。共通してるのは 「子どもがいない」ってことだけで、たったその部分だけ。根っこの部分は皆バラバラで色々あって、色々なことを経て 「子どもがいない」ってこと。

 

「子どもがいない」ってことだけで一つのくくりにされているけれど、本当は色々な種類で色々な理由で、色々なことがあって、「こどもがいない」ってことを、ほんの少しでもいいから念頭においてほしいなと思うー。