noir's memorandum

病気と生きる世界のはしっこ。乳がん治療中@

子供のいない人生のこと

何かを得れば、何かを失うような。

人生は50/50だと思って生きてきました。

 

病気で最終的には子供がいない人生を歩むことになったわけですが、

病気の治療中はその事はあまり考えられず、普通の生活に心身ともに馴染んできた頃が、

いちばん、なかなか、なんとも、言葉にするのには難しい気持ちでいました。

 

本当に時間が経って、時間に解決してもらっているなぁという感じで、

吹っ切れていているわけでもなく、こだわってもいない。

言葉にしづらいだけで、考えずに忘れることもできないし、ただ時の流れに身を任せている中で、現実を受け入れつつあるという感じ。

 

可愛いお子さんや、幸せそうな家族を見ると普通に素敵だな、いいなと思うし、羨ましいです。

夫婦だけで生きていくと決めたら、羨ましいとか思わなくなるのかな?と漠然と思っていたのだけど、全然、今でも羨ましいです。

 

でもそれはその場限りで、できるだけ、その場に置いていく事にしています。

 

素敵な無い物ねだりはきりがないけれども、

全部がぜんぶ、良いことばかりじゃ無いということ。

いいなぁと思うのは一部分で、その奥を見ていないから、そう言えると言うこともある。

 

子供がいる幸せは確かに得られないけれど、子供がいる不幸せも得ることがないのです。

幸せもわからないけど悲しみはない。

子供がいない悲しみしか知らず、子供のいない夫婦の幸せがあるはず。

 

それでいいんじゃないかな、

と最近は思うようになりました。

 

ただ社会に対する劣等感とか、病気で子供が産めないという負の側面はどうしようもなくて、自分は生きている意味がないのではないかとか、自信が全く無く、しんどくて、前に進めない時もある。

このどうしようも無い事を考えてしまうループはなかなか抜けられないし、落ち込みます。

 

でも、それもそれでいいんですよね。

何故そういった苦しみを与えられたのか、とか、哲学的な事はまだまだ考えられませんが、

受け入れられないことも、前に進めないことも悪いことではなく、まるっと自分を受け入れられたら、それでいいんじゃないかな?

それができないから、悩むんですけどね(笑

 

 

子供は与えられなかったけど、なにか与えられたもの、

与えられたものの中で、何か出来ること、自分が出来ること、なにか。

信仰も宗教などもありませんが、運命というのはこういうことなのかな、とか。

                       

 たとえば、

患者会で出会った友人に話を聞いてもらったり、聞いたり。少しずつ負の感情を外に出しあって、分かち合ったりする。

自分だけじゃないんだって、仲間ができれば少しは吐き出せない気持ちが楽になる。

そういった場所は本当に大切で、精神面での支えになり、成長へのきっかけになるから、

暗くドロドロシタモノはここにおいて、明日からの普通の生活の活力になれば良い。

そんな分かち合いの場をできたら良いよな、とか最近は考えたりしています。

 

子無しの呟きでした。

子供がいなくて辛い方、わたしもですよ。